千年を生きる最強の妖狐「九尾の狐」の伝説とは?その能力・逸話を解説します。

九尾の狐

引用:https://www.pinterest.jp/pin/358388082830871845/

皆さん、こんにちは!

今年もコロナの影響で妖怪系イベントが減ってしまいそう…と一人寂しく落ち込んでいる萌子です。

先日、最強・最悪の妖怪を紹介したところ「九尾の狐」についてもっと知りたい!というご意見があったので、今回は九尾の狐についてもっと深掘りしていこうと思います。

萌子

世界を股に掛ける大妖怪「九尾の狐」の逸話を紹介していきますね!

九つの尾を持つ伝説の霊獣・妖怪「九尾の狐」とは?

引用:https://dic.pixiv.net/a/%E4%B9%9D%E5%B0%BE%E3%81%AE%E7%8B%90

九尾の狐はその名前の通り9本の尻尾を持つ狐で、恐ろしい妖力を持ちあわせています。

キツネの妖怪には実はいくつかランクが存在しており、

  • 一般的な妖狐の「地狐」(101〜500歳)
  • 尻尾が分かれ、お稲荷さんになる神徒の「気狐」(501歳〜900歳前後)
  • 1,000年以上生きる「仙狐」(1,000歳〜)
  • 人間に取り憑けるようになる「天狐」(〜3,000歳未満)
  • 霊的存在になる最上位の「空狐」(3,000歳以上)

九尾の狐そのものは気狐以上になります。

伝説に残っている「白面金毛九尾の狐」は人に取り憑き、その姿を男性や赤ん坊に変えることが出来たといわれているので、恐らく天狐ほどの力があったと言えるでしょう。

その能力は変化術・幻術・魅惑術を有しており、歴史・仏道・神道・医術・文学・美術などの様々な分野に精通していたと言われています。

また、標的にした人間に最も愛される姿形に変化して、言動も相手を魅了するように振舞っていたそうです。

萌子

まさに銀座のママさんの究極版のような感じですね!

九尾の狐が残した伝説や逸話

ここからは九尾の狐が残した伝説や逸話を時系列で紹介していこうと思います!

①中国(殷):妲己(だっき)の逸話

引用:https://blog.goo.ne.jp/caneteregardepas/e/1ae834c5e067d20cfa834702560a2f85

まずは紀元前11世紀、中国古代王朝である殷の時代から九尾の狐の伝説は始まります。

この時代の「紂王」という王様には「寿羊」という美しい愛妾がいたのですが、九尾の狐は彼女を喰い殺しその身体を乗っ取ってしまいました。

そして妲己として紂王の后となり、酒池肉林にふけり罪のない人々を大勢処刑したのです。

その後は周国の武王が率いる軍に捕えられ、太公望が宝剣を投げ付けると身体を3つに分けて逃亡したと言われています。

②中国(西周):褒姒(ほうじ)の逸話

褒姒(ほうじ)

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A4%92%E5%A7%92

逃亡した九尾の狐は再び中国に舞い戻ります。

白面金毛の復活の兆しである歌が詠まれた頃、女官の1人が白面金毛を封じられた塚から溢れた泡を浴びて乙女であるにも関わらず子を産み落としました。

不浄の子として処理されたはずの子は生きており、美しい少女に育ったのち幽王に捧げられたのです。

彼女は褒姒と名付けられ、幽王を骨抜きにする美貌を持っていました。

しかし、褒姒はどんなに幽王が尽くしても笑わぬ女性でした

ある日、幽王はふと思い付いて、緊急事態の報せである烽火を上げさせ、太鼓を打ち鳴らします。

諸武将は「何事か!?」と駆けつけたのですが、来てみると全く何もないので右往左往として慌てふためきます。

その姿を見た褒姒は、その時初めて声を上げてコロコロと笑ったそうです。

それを見た幽王は事ある毎に烽火を上げさせた為に信用を失い、烽火が上がっても誰も来なくなってしまいました。

そして周国が本当に敵国に攻められた際に誰も集まらず、幽王は殺されてしまったのです。

褒姒も捕虜となりましたが、いつの間にか行方不明になってしまったと言われています。

③インド(耶竭陀国):花陽夫人(かようふじん)の逸話

花陽夫人

引用:http://www.arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/index.php/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Z0688-1-016.jpg

殷の滅亡から約700年後。

インド・耶竭陀(まがた)国の班足太子(はんぞくたいし)の后として傾国を企む九尾の狐。

その名も花陽夫人と言います。

花陽夫人は残虐非道そのもので悪虐の限りを尽くしました。

ある日お堂に1,000人の僧侶を集め、そこに500人の美女を送り込んだ花陽夫人。

「色欲に塗れた僧侶がいる!」と数十匹の獅子を放つ罰を実行し、その残酷すぎる場面に手を打って喜んだそうです。

その他にも暴虐の限りを尽くした花陽夫人は、耆婆(きば)という人物に正体を見破られ、北の空へと逃げ去って行ったと言われています。

④中国(唐):若藻(じゃくそう)の逸話

次に九尾の狐が化けたのは年齢にして15, 6歳の美しい少女で、名前は若藻と言いました。

ある日、吉備真備が乗る遣唐使船にコッソリと美少女が乗っており、吉備が彼女に何者かと尋ねると、

「貴方が唐にいる頃から成長したら貴方と日本へ行きたかった。両親には内緒で来たので許して貰えなければ海の底へ身を沈めて魚の餌になります」

と泣きながら懇願するではありませんか。

不憫に思った吉備は彼女を連れて行くことにしました。

しかし、船が日本に着くと跡形もなく少女は消えてしまったのです。

こうして九尾の狐はとうとう日本に渡ってきてしまいました。

⑤日本(平安):玉藻前(たまものまえ)の逸話

引用:https://ameblo.jp/kazu3wa1192/entry-12503575316.html

皆さんご存知の九尾の狐である玉藻前は赤子に化け、武士に拾われ藻女(みくずめ)と名付けられます。

これまた美しく育った藻女は女官となり、美貌と博識さから鳥羽上皇に寵愛されることになりました。

しかしその途端に上皇は体調を崩して、七転八倒するほどの全身の痛みに苦しむことになったのです。

そこで祈祷のために呼ばれた安倍泰親(あべのやすちか)がなんとか玉藻前の正体を見破り、宮中から追い出すことに成功しました。

⑥日本(平安〜鎌倉時代):殺生石(せっしょうせき)の逸話

殺生石

引用:https://www.wikiwand.com/ja/%E6%AE%BA%E7%94%9F%E7%9F%B3

宮中を追われた九尾の狐は那須野(現在の栃木県那須町)へと逃げ怪異をもたらし、何人もの住民を餌食にしました。

そこで三浦介義明、千葉介常胤、上総介広常を将軍にし、安部泰親を軍師としていよいよ討伐軍が結成されたのです。

討伐は熾烈を極め、討伐軍がとどめを刺そうとした瞬間、九尾の狐は巨大な石になってしまいました。

そしてその石は毒ガスを吐き出す石となり、またしても人々をそして獣や草花をも餌食にすることから「殺生石」と名付けられたのです。

それから数年後、玄翁和尚(げんのうおしょう)によって浄化され、槌で打たれた殺生石は二つに割れて西へと飛んで行き、白面金毛九尾の狐も西方の浄土へと旅立ったとされています。

萌子

現在も殺生石は健在なので、是非拝観しに行ってみてください!

まとめ:九尾の狐の伝説はこれからも紡がれていく!

九尾の狐

本記事では、世界を股に掛ける大妖怪「九尾の狐」が持つ伝説や逸話を詳しく解説してきました。

今回紹介した九尾の狐の伝説は、幾多の時代を駆け抜けて語り継がれてきたものであり、私たちが暮らす現代にも大きな影響を与えています。

(マンガやアニメ、ドラマなどの作品には九尾の狐をモチーフにしたキャラクターが数えきれないほど登場しているので)

もしかしたら私達がメディアを通して目にしている九尾の狐も、時代を超えた遠い未来では「伝説」として語り継がれているのかもしれませんね。

萌子

他にも取り上げて貰いたい妖怪がある方は、ぜひ編集部までお便りくださいね!

皆様からのご連絡をお待ちしております☆

3 COMMENTS

坂本厚子

はじめに載っている梅?の木の近くにいる美しい白面金色九尾の狐様の絵は、どこの美術館に貯蔵されているものなのでしょうか?興味があり、実物をみたいのですが。どうぞ宜しくお願い致します。

返信する
さいばら

コメントありがとうございます。
調べてみたところ『山海兽』という本に掲載されている絵だそうです。

▼ソース元
https://www.sohu.com/a/212669026_115112
※グーグル翻訳を使って内容を精査したので、もしかしたら上記の情報に誤りがあるかもしれません。

美術館に関する情報を見つけることはできなかったので、推測にはなりますが「美術館に貯蔵されている作品ではない」と思われます。

返信する
坂本厚子

早速のご返信、感謝致します!!
ありがとうございます(^_^)ノ

返信する

坂本厚子 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です