江戸の三大刑場「鈴ヶ森刑場跡」の探索記!~未だ供養し続ける歴史が産んだ心霊スポット~

鈴ヶ森刑場跡

こんにちは、霊媒体質の歴史好き有明ハルミです。

私はこれまで心霊スポットに近づくことを避けてきた人間です。(良くないものが視えたりするので…。)

ただ「鈴ヶ森刑場跡」の歴史的側面に興味があったので、今回は勇気を振り絞って体験レポートを書いていこうと思います。

現地の写真も沢山撮ってきたので、興味がある方はぜひ参考にしてくださいね。

補足

刑場とは、死刑を執行する場所のことです。

江戸の三大刑場「鈴ヶ森刑場」とは?

鈴ヶ森刑場は江戸の三大刑場と呼ばれ、主に火あぶり・梁つけ(罪人を貼り付けて両脇腹から槍で突く)の獄門が行われていました。

死刑人が武士の場合は、切腹させたのち介錯(首を切られる)するのが一般的だったのだとか。

首を切った後、罪を犯した武士の首を晒す場所でもあったと言います。

ここで処刑された著名な方と言えば、「八百屋のお七」「鼠小僧」がいます。

のちに歌舞伎や時代劇のモチーフとして人気を博す彼らですが、当時はただの庶民に過ぎません。

鈴ヶ森刑場は主に、そういった庶民が処刑される場所だったのです。

明治時代に処刑場としての役目を終え、現在では併設されたお寺で供養し続けています。

江戸の三大刑場

今回紹介する鈴ヶ森刑場に加え、大和田刑場、小塚原刑場が江戸の三大刑場と呼ばれています。

 

鈴ヶ森刑場は、東京の『京急大森海岸』から旧東海道沿いに五分ほど歩いて行くと見えてきますよ。

近くに駐車場らしきものはないので、電車に乗って徒歩で向かうのがおすすめです。

 

鈴ヶ森刑場に続く処刑への道「涙橋」

今回は一駅前の立会川駅で下車し、鈴ヶ森刑場に向かいました。

近くには浜川橋(別名:涙橋)と呼ばれる橋があり、ここで死刑囚の肉親やその関係者が泣きながら処刑場へ運ばれる姿を見送ったそうです。

涙橋(看板)

処刑される身にとっては、ここから先は「あの世」も同然だったわけです。

涙橋

この近辺には有名な神社(天祖・諏訪神社など)もあり、いかに歴史的に重要な場所かがわかります。

 

鈴ヶ森の霊を供養する「鈴森山大経寺」

鈴森山大経寺

まずは、刑場跡の霊を供養し続ける「鈴森山大経寺」へお参りします。

歴史的に開山した(お寺が出来た事)時期は、明治に入ってからだそうです。

御朱印帳を持っている方は、お参り後に社務所で書いてくださいます。

ここでお参りしてから、刑場跡のお参りや写真撮影の許可を頂きました

無料配布されているパンフレットには、お寺の前身についての歴史も垣間見る事が出来ます。

時間が遅かったせいもあり、社務所の方とは少しだけお話しさせていただきました。

 

遺跡として残る、鈴ヶ森刑場跡の現状

写真を撮る前に、鈴ヶ森刑場跡のパンフレット(300円)とお線香をお供えし、お祈りを捧げました。

鈴ヶ森刑場跡のパンフレット

当時一番稼働していたと思われる、梁つけと火あぶりの柱の跡。

鈴ヶ森刑場跡 処刑場

長居してはならないような、ここで、と思うと失神しそうになったので、途中で想像するのを辞めました。

社務所のおじさん(お坊さんだと思うが)いわく、残っているのは本当にごくごく一部なのだとか。

ささやかですが、霊の存在を知る者にとって、信じられない証言を聞くことが出来ました。

 

本来なら千二百坪以上!鈴ヶ森刑場の本当の姿

江戸幕末が始まった当初から、罪人の処刑を担っていた鈴ヶ森刑場。

処刑された後は遺体は野ざらし、中には何百年も供養されずにいたそうです。

一応供養する場所はあったそうですが、時代の中に埋もれてしまったのだとか。

中には約三百年もの間、濡れ衣を着せられたままの無罪の人間も沢山いるそうです。

処刑場と遺体置き場が違う場所だとすれば、土地は広くなければ対応できません。

社務所のおじさんの話だと、本来の鈴ヶ森刑場は千二百坪という広大な敷地を有していたそうです。

その後、国の事業などで土地が買い取られ規模は大幅に縮小、寺院も移転し現在は二百五十坪程しかないのだとか。

旧東海道に沿って走る車のアスファルトの下には、かつておびたたしい数の骨が埋まっていた事になります。

旧東海道

江戸の中で罪を犯すとこうなると言う、警告としての役目もあったのかもしれません。

想像するとまた失神しそうになるので、ここで辞めておきますね。

 

名もなき霊を供養し続ける、鈴ヶ森刑場跡と大経寺

鈴ヶ森刑場の看板

科学捜査なども無かった江戸時代に、数え切れない大勢の方々が嘘の自白で死罪になったと聞きました。

現在の鈴ヶ森は、江戸時代の刑場跡地としてだけでなく、そういった名もなき霊の供養場としての役割も担っています。

鈴ヶ森には明治時代に起こった震災や火災、水難で亡くなってしまった方々を哀悼する石碑も数多く立っています。

鈴ヶ森にある石碑

鈴森山大経寺では現在も、こういった名もなき霊の供養を続けています。

足を運んでみて初めてわかったことですが、鈴ヶ森という場所は無縁仏を供養し続ける場所でもあったのです。

 

これから鈴ヶ森刑場跡に行く方へ、必ず守って欲しいこと

江戸時代の歴史的な遺跡でありながら、亡くなった者を供養し続ける役目を負った「鈴ヶ森刑場跡」と「大経寺」。

そこを訪れる際は、きちんと大経寺に参拝してから鈴ヶ森刑場跡へ行くことを強くお勧めします。

刑場跡地といえど、未だにこの地で眠っている方がいらっしゃる事を忘れないでください。

せめて、お線香の一つでも供えてあげてくださいね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA