こんにちは、新興宗教を自力で脱会した有明ハルミです。
私が新興宗教に入ったのは母が友人に誘われて入信したのがきっかけです。
母が入信してしまった為、自動的に私も「入信」することになりました。
子供に有無を言わさず入信させる、はっきり言って「不条理にも程がある」と子供ながらに感じていました。
今回は私の経験を元に、新興宗教の闇について筆を取りたいと思います。
霊媒体質が救った『新興宗教のウソ』
私が新興宗教のウソに気づいたのは、子供の頃に連れて行かれた教会がきっかけです。
その教会ではお経が鳴っていたのですが、霊媒体質である私はお経によって空気が淀んでいくのを強く感じ、これは絶対ウソだと気が付きました。
本来のお経とは、霊を慰めてあるべき所に戻してあげるもの。
このお経ではわかりやすく言うと「霊が投げっぱなし」の状況になっており、浮遊霊がただただ漂うだけの場所になっていたのです。
直感でここに居てはいけないと、すぐに悟りました。
これは大人になってから分かったことですが、お経って最初だけが合っていて、後は『解釈を捻じ曲げた文章』なんですよね。
大人になって知った本当の『お経』と『お坊さん』
本来お経とは、お坊さんである師匠から弟子たちに伝えられ、生活全てが修行という期間を経た人だけが晴れてお坊さんになります。
お坊さんのお経には、全ての教えが入っています。
コピー機なんて無い時代、全部手書きでお経を写していました。
一語一句間違いなく写して、今の世の中にも伝えている。
これが本来の意味での『お経』です。
しかし、新興宗教の場合はベースであるお経を『自己解釈』して、都合よく整えた『お経もどきの文章』なのです。
どんなにお経のように節を付けても、所詮は『紛い物』でしかありません。
気が付くと『まともな人』なんていなかった
母が入信を勧める側になってからは、気が付くと周りの大人が『新興宗教の信者だらけ』になっていました。
誰も信用出来ない上に、この大人達が何を企んでいるかわからない。
大人が持っている飴、そこで放映されているアニメ映画、時には東京湾からフェリーに乗って横浜ベイブリッジへ行く楽しげなイベントなど。
そういった楽しい催し物を用意して、ここには楽しいことがありますよと。
何も分からない兄弟たちも『これが正しい宗教』と親から教え込まれ、次第に染まっていきました。
でも、私は頑として教会には行かず、宗教行事にも参加しませんでした。
そうして、宗教と無理やり距離を置いてきたのです。
選挙戦で『◯◯さんに入れなさい!』と強要された
引っ越しを期に大人しく過ごしていましたが、成人式を機にまた新興宗教との戦いが始まります。
きっかけは初めての選挙。そこで新興宗教の毒牙が私に向いてきます。
私は誰に票を入れたらいいのか思案に耽けながら新聞を読んでいました。
すると、母が一言「絶対に◯◯さんに入れなさい」と。
ここから母と私は大げんかし、「誰にも指図は受けない」と徹底的に抵抗しました。
その甲斐があり、自由に投票してもいいというルールが出来上がりました。
少しずつ、心の中に脱会したい、そんな気持ちが芽生えていました。
疎遠から作る『本格的に脱会へ』
まず、いきなり脱会すると、所詮は『人対人』なので村八分などのエライ目に合うことは予想していました。
なので少しずつ疎遠になれるよう、自分のやりたい事だけを優先的にやって過ごしていました。
当時はネットでも、新興宗教から脱会する方法などの記事が上がってきていた頃でした。
現在は『脱会届け内容通知』で検索すると、きっちりとした雛形が見つかります。
もしうまく見つけられない場合は、郵便局の窓口で聞いてみると良いでしょう。
頃合いを見て私は脱会届けを出し、教会長さんにも最後のご挨拶しました。
「これでやっと縁が切れる…」と、ホッとしたことを今でもよく覚えています。
実際に脱会して感じたこと。『新興宗教は異常だった』
現在と当時の生活を比較すると、あんな異常な事を受け入れていたのが信じられないぐらい平和な毎日を過ごしています。
過去を振り返ろうにも「家族の思い出」と「新興宗教」が重なってしまい、はっきり言って思い出したくない程です。
母は一時期「新興宗教に助けられた」と言っていましたが、様々な人々が集まる新興宗教という場所に悩みを聞いてあげられる人が “偶然居ただけ” に過ぎません。
どれだけ多様な職業の方々が新興宗教に関わっているのか…。
そう思うだけでゾッとしてきます。
昔はしきりに家族に脱会を勧めていましたが、現在はそれを諦めて家族と縁を切りました。
葬祭などの必要最低限な事以外、家族とは連絡を取っていません。
カルト宗教の体験を活かすことは私の大事な役目
カルト宗教を脱会するときは細心の注意を払わないと、自分の友達にまで迷惑をかけてしまいます。
また新興宗教に入っていると言うだけで、色々な誤解を受けて友人を失う事も多々ありました。
もう悪意のない人が新興宗教で傷つく姿は見たくない。
カルト宗教の二世である私がこれまでの辛い体験を活かし、新興宗教の闇や内情についてこれからも記事を書いていければと思います。
私はもう嘘つきになりたくないのです。